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八街市の不動産鑑定のご相談は神奈川鑑定の不動産鑑定士が承ります。八街市(やちまたし)は、神奈川鑑定(通話料無料フリーダイヤル0120-554-574:横浜市)の不動産鑑定評価業務、相続税申告、相続税還付サポート業務、財産評価基本通達24-4に関する広大地判定業務における営業最重要都市の一つである。千葉県北部に位置する市である。落花生の町として全国的に知られている。近年では東京や千葉市のベッドタウンとして急速に宅地化しているが、ライフラインや道路などのインフラ整備が追いついておらず、JR八街駅周辺では慢性的な渋滞が起きている。千葉県のほぼ中央に位置し、東京都心から約50km圏内、成田国際空港へは約10km圏内に位置する。八街(やちまた)の由来は、明治の初期、新政府の政策により徳川幕府の放牧地であった小金牧・佐倉牧の開墾に際し開墾局が開庁した。明治2年5月25日(1869年7月4日)に開墾着手の順序によって命名された字名が始まりとされている。これらの字名は以下のとおりで、明治5年11月2日(1872年12月2日)にそれぞれの村が誕生した(九美上は1876年(明治9年)10月23日)。
初富(はつとみ) 現在鎌ケ谷市の一部
二和(ふたわ)・三咲(みさき) 現在船橋市の一部
豊四季(とよしき) 現在柏市の一部
五香(ごこう)・六実(むつみ) 現在松戸市の一部
七栄(ななえ) 現在富里市の一部
八街(やちまた) 現在八街市
九美上(くみあげ) 現在香取市の一部
十倉(とくら) 現在富里市の一部
十余一(とよいち) 現在白井市の一部
十余二(とよふた) 現在柏市の一部
十余三(とよみ) 現在成田市、香取郡多古町の一部
1872年(明治5年)11月2日 - 印旛郡八街村が誕生。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、八街村、文違村、榎戸新田、大関新田、雁丸新田が合併し、印旛郡八街村が発足。
1919年(大正8年)1月1日 - 八街村が町制施行により八街町(初代)となる。
1954年(昭和29年)10月31日 - 山武郡日向村(現在の山武市)のうち大木、木原地区の一部を編入。
1954年(昭和29年)11月1日 - 隣の川上村と合併し、八街町(2代目)を新設。
1956年(昭和31年)4月1日 - 山武郡山武町沖渡の一部を編入。
1992年(平成4年)4月1日 - 1990年(平成2年)10月の国勢調査で市制規定人口の5万人を越えた為、市制施行。人口54,756人の八街市が誕生(千葉県で30番目の市制施行)。八街駅前に設置されている落花生のモニュメント主に農業中心で、特に、落花生生産では日本一。
市内には、千葉県農業総合研究センター育種研究所畑作物育種研究室落花生試験地がある。
市南部には、千葉県畜産総合研究センターがある。八街大祭での踊りの披露八街大祭が11月の初めに行われる。
フジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』では、幸福を呼ぶひまわりの種の話で紹介されたことがある。保谷市(現西東京市)の小学校の創立記念日のイベントで種を入れた封筒を風船に付けて飛ばしたところ市内の民家まで飛んできて、それを拾った小学生がテレビに放送された。
矯正施設がある。(八街少年院)
市制施行以来、警察署の設置を望む声が地元住民からあがっているが、隣市に所在する佐倉警察署の管内とされたまま、新たな警察署の設置計画も今のところはない。ちなみに、通常の交番よりも規模が大きい八街幹部交番(八街市八街ほ)が設置されており、八街市内における車庫証明などの手続きは佐倉警察署ではなく八街幹部交番で行う。
戦時中の1941年4月陸軍八街飛行場が作られ、下志津陸軍飛行学校八街分教場が置かれていた。
かつては富里市とともに新東京国際空港(現・成田国際空港)の候補地に挙げられていた。
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